金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

戦い方ばかりでなく、相手を知りたい

緊急事態宣言が延長され、さらに厳しい状況になっていきます。

また、このブログの目的でもある人生会議についても、やった方がいいですよ、なぜなら〜ということを、具体的にお勧めするタイミングも来ているように思います(これまた厳しい話ですが)。

……なのですが、ああ、そのことを知りたかった!という情報に触れられたので、それについて記しておこうと思います。

 

科学的な情報を得ることは必要だけど、なぜ感染症の専門家ばかりが表に出てくるのだろう?と、ずっと不思議に思っていました。
「どうすればウイルスと戦えるか!」という方向は、不治の病気と向き合った人を見送った経験者としては、何か違和感があったのです。倒せるの?と……。勝利するまで戦い続けるの?とも……。というか、「勝利」って一体どういう状態なの? ウイルスは生物ですよね?と……。

新しい相手と付き合っていくには、相手のことをもう少し知りたい。
「付き合い方」(戦い方?)ばかりでなく、「その相手」を知りたい。
そんな風に思っていた次第です。

相手を知らなければ、付き合い方についてもいろいろ考えられないので……。

で、TwitterのTLに流れてきた、慈恵会医科大のウイルス学講座の近藤先生の言葉に納得。

ウイルス学の世界では、自分の専門以外のウイルスの関しては口出ししてはいけないという不文律があります。現役のコロナウイルス学者は、日本にはほとんどいないので、マスコミなどでウイルス学者が新型コロナウイルスの解説をすることは、まず無いと思います。

なるほど、だから表に出てこなかったんですね、と思いました。

でも、先生は以下のサイトでその「不文律を破って、ウイルス学者の目からみた新型コロナウイルスの解説を試みて」くださっています。

jikei-tropmed2.wixsite.com

ちょっと専門的で難しい部分もありますが、とても納得がいきました。だから、こういう対策が取られていたのですね、と。

また、「新型コロナウイルスの構造と消毒法」というところで、

消毒薬に抵抗性のあるウイルスに対して、最も有効な手段は洗浄です。皮膚の表面にあるウイルスを石鹸で浮かせて、水やお湯でしっかりとウイルスを洗い流すことが必要です。

とありました。

要は「石けんでしっかり皮膚の表面にあるウイルスを洗い流して」と、非常にシンプルなメッセージでしたが、これが大事なのだとよくわかりました。

 

このサイトを共有したところ、現場の実感をお知らせくださった方がいました。ご本人から許可を頂戴しましたので、以下に共有させていただきます。

私は保育所看護師をしております。

コロナウィルス感染拡大防止のため外出自粛となっている中でも保育所は開所しなくてはならない状況でしたが、保育所で出来る感染対策はたかが知れています。出来ることは手洗い、うがいの徹底と普段より多めの清掃、消毒くらいです。でも、これがとても効果をあげています。

2月に入ってから感染予防のため、まずは子ども達と保護者に保育所に入ってすぐにアルコール消毒と手洗いをしてもらうことにしました。
(元々子ども達には普段から手洗い指導の際には、食前などの他に目や鼻や口を触る前には必ず手洗いをするように教えてきました。)
してもらった事は、たったこれだけなのですが、2、3月の風邪様疾患の人数が一桁に激減し、4月に至っては3歳未満児では0人となりました。3歳以上児でも1人でした。普段ならインフルエンザが流行するのですが、2月の頭を最後にそれ以降は0件でした。
もちろん、子どもの数が普段の登所人数の半分だったことも一因と思われますが、予想以上の効果です。それと同時に子ども達の普段の手洗いがいかにいい加減だったかを思い知りました…。

 

3月末の段階で、顧問をさせていただいているクリニックからも、体感で「患者さんが減っている。インフルエンザと風邪の患者さんかな」という話を聞いていました。

こちらは大人のクリニックなので、国や都の広報で指示された対策を各自が実践したからこその結果だったと思います。「人と会わない」も重要な対策ですが、「手洗いとうがいの徹底」が理にかなっていることがわかり、すっきりしました。

 

ちなみに「手洗いとうがい」は、肺を病み、窒息死のリスクがあり、肺炎になったら終わりと言われていた夫と暮らしていましたので、私にとってはすでに意識せずとも頻繁に行っているルーティンです。

それでも、死別後のこれまでには、入院一歩手前まで体調を悪くしたことも何度かありました。その原因は、メンタルの不調です。

こういう経験もあって、「ウイルスとの戦い方」だけがクローズアップされる情報発信には違和感があります。また、メンタルは気合いだけでなんとかできるものではなく、加えて専門家だけに頼れば万事すっきり解決というものでもありません。そして、精神疾患を発症すれば、完治までにそれなりの時間がかかることも覚悟する必要があるでしょう。

真面目で一所懸命、弱音を吐かないぞ!と頑張っている方は特に、人とのつながりを意識した方がいいと思います。テレビでも精神保健福祉センターへの連絡先が広報されています。相手は専門家である必要はありません。誰かに話す=言葉にすることは、とても大事なことだということも書き添えておきます。

「幸せ」って何だろう?

「幸せ」って、何なんだろう?と、改めて思っています。

体調不良から回復できなくなってしまうので、SNSなど激しい言葉が飛び交うメディアを見る時間をコントロールしていますが……。

それにしても、ああ、あなたはそういう人だったのですか……と残念に思う言葉が目に付きます。

スポーツ観戦の感動を例にとり、今、前線ではたらくプロの人たちを「選手」になぞらえて彼らを取材して伝えたらどうか、という著名人による提案は……、非常に残念に思いました。

考え方はわかります。私もスポーツの業界で仕事をしてきたので、スポーツの魅力が「その時、その場で」というライブにあることはよくわかっている。でも、その方の言う「選手」の先にいるのは……、一体誰だというのでしょうか。

命が失われるかどうか……というぎりぎりの局面を経験したことがある、という人の方が少ないのかもしれませんが、生きるか死ぬかということを経験した人は、こんな文脈では現場取材をしてライブ中継したらどうかなどとという提案はできないと思うのです。

 

Happiest

ご存じのようにHappyの最上級ですよね。

 

経済的にも、容姿にも、頭脳にも、家族にも、友人にも、仕事にも恵まれている。

子どもの頃からずっとそういう環境で過ごし、結婚後の伴侶も非の打ち所がなく、お子様も素晴らしい。そして、生涯に渡り、お金にも人間関係にも何の不安もない……という中で暮らしていく……。

多くの人が憧れを抱くのは、こんな「幸せ」なのかもしれません。

そして、こんなHappyの、さらに最上級であるすべてを持つHappiestさんは、実際に存在しますよね。私も会ったことがあります。

 

でも……思うのです、その人は本当に「幸せ」なのか、と。

彼らは、性格もとてもよく素直ですので、感謝の心を忘れません。欲望のままに、あれもこれもともなりません。裕福ですので一般人が考える「質素」とはちょっと違いますが、でも「身の丈にあった生活」を送っています(「身の丈」はとても大きいですが…)。

 

でも……やっぱり私は思うのです、その人は本当に「幸せを知っているのか」と。

お金が大事なのはわかっていますが、でも本当のお金の価値や意味を理解できるのは、ひょっとしたらお金を失った時なのかもしれません。

健康が大切なのはわかっていますが、でも本当に健康が大切なんだと理解できるのは、病気になった時ではないでしょうか。

そして、この人がとても大切な人だとはわかっていますが、でも本当にかけがえのない人だったんだと身にしみるのは、その人が死んでからだと思います。

つまり、すべてを持っている人、多くを持っている人は、持っているが故に、手にしているものの本当の価値をわかっていないのかもしれない、と私は思うのです。

 

冒頭に戻ります。

「幸せ」って何だろう?

 

自分の手にしているものの価値がわからず、命に向き合う最前線ではたらく人をライブで観たい、とスポーツ観戦になぞらえて言えてしまう感性は、私には不幸せにしか見えません。

 

幸せとは、幸せの価値を知っていること、ではないかと思うからです。

夫も子どもも財産もなく、おまけに今は仕事もストップしてしまっている私は、そう深く感じています。

……と、そんなことをふと思ったのは、今日が亡夫の誕生日だからです。

生きていたら49歳。今のこの状況をどんな風に感じるだろうか、語り合えないのがちょっと残念ですが……。

 

 

 

一線を越えたタイトル

昨日に引き続き、体調が悪くなった記事について書きます。

岡村隆史さんの発言については、昨日のブログに書きました。実は、岡村さんの発言については、以下の記事で知った次第です。

news.yahoo.co.jp

正直なところ、岡村さんの発言については吐き気を覚えましたが、上記の記事については体調が悪くなってしまったため、とてもではないですが昨日の段階では、この件については書くことができなかったのです。

そういう意味では、岡村さんの発言以上に、私自身は心身にダメージを負ってしまいました。自分の弱いところを突かれた、と言ってもいいのかもしれません。

 

私がやられてしまったのは、まず、タイトルです。

岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべきではないか

 「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」……と、打ち直すだけでも目が回ってきます。それくらいのインパクトが、このタイトルにはある。

 

そして続く記事には、冒頭に次のような一文があります。

閲覧注意なので気分が悪くなった方は読まなくていい。

はい、つまり書き手は、こういう文言に体調不良になる人がいることを認識しています。

 

言い換えれば、書き手やこれを取り上げたメディアサイドの人間は、このタイトル(内容)が、人の心を大きく揺さぶることがわかった上で、それについて書いている、ということです。

 

記事を読み進めていきました。

私は絶対にこういう発言は許してはいけないと思っている。

このような発言を面白おかしく取り上げてきたメディアも猛省すべきである。

同感です。特に記事にしたメディアについては、いつもはネタにしていてもこの時期には記事にするべきではなかったと思います。そして、男性のこういう発言を許してきた私のような女性についても、反省したいと昨日のブログに書きました。

 

しかし……、読んでいくと、書き手の主張は他にあることがわかってきました。

誤解してほしくないのは、生活困窮者支援をするなかで、今回の緊急時だから女性が「性の商品化」をされているのではなく、日常的にそうなっている社会構造があるということだ。日常的に問題視されてこなかったものである。

そういうことなんですね……と力が抜けました。

 

このような女性の性を購入する人々の問題を「見える化」し、改めて社会福祉や生活保障をしていく社会への転換を図るべきであろう。

止むに止まれず、10代の女性、学生、シングルマザーなど生活に苦しむ人たちが性を売らなくても生活が可能な社会への転換こそ必要である。

 記事の締めくくりに書かれていたことが、書き手の主張であることがはっきりしました。要は「(弱者が生きていきやすい)社会への転換を図るべき」というのが言いたいことなんですね。

 

こういう文脈で主張が語られる時、私はどうしても書き手の利己的な姿勢を感じてしまいます。

岡村隆史さんの発言はもちろんこと、性の商品化の対象になっている女性も、それを支援する団体も、すべてが自分の主張を正当化する道具にすぎない、と受け取れるからです。

たしかに、その主張は正しい。

私も、ウーマンリブ世代が恩師ですし、学生時代には女性としての意識のなさをかなり厳しく教育されてきたと思います。個人的な経験もさまざまあるし、その主張に反対するつもりはありません。むしろ、賛同します。

だけど、自分自身が道具にされるのは、受け入れがたい。というか、耐えられない。私個人のことを言っているのではないのはよくわかっています。でも、尊厳が傷つけられた、と感じてしまうのです。

他人の道具にされることにおいては、性の商品であることと、何ら変わらないからです。

 

しかも、最悪なのは、自分の主張を拡散させるために、人の心を大きく揺さぶるための言葉をわざわざタイトルに付けていることです。

岡村さんは「楽しみ」とは一言も発言していないようなのに(ラジオ番組は聴いていませんが、書き手が記事中に参照した記事にも「楽しみ」とは書かれていません)……。

 

ネット上は、書き手が記事中に参照した記事ではなく、冒頭に示した記事が広く拡散しました。そして、岡村さんを非難する言葉があふれています。

 

でもね……、よく考えてほしいのです。本当に岡村さんの発言だけが問題なのか、と。

問題を可視化し、多くの人に理解してもらうという正義のためには何をしてもいい、手段は選ばない、ということを本当に許してしまってもいいのでしょうか。

 

私も死をテーマにしており、こういう問題に直面してきたので、特に敏感に反応しているのかもしれません。

私たちは、こういう姿勢を「自分に矢印」と呼んでいます。「弱っている人を支える」と「自分の主張を広める」こととのバランスを取るのは本当に難しい。ちょっとでも気を抜くと、「自分は正しい」という確認や「自分を認めてほしい」という承認欲求が頭をもたげてきて、そちらの方が優先されてしまうのが、人の支援に関わる人間にはつきものだと思っています。

人間ですから、間違いをおかすこともあるでしょう。でも、そのために仲間がいます。

原稿の段階で、ストップがかかったり、意見が出なかったことが残念です。

また、万が一でもPV数を稼ぐことの方を優先して、このタイトルを付けていたとしたら……。そちらの方が質が悪いと言わざるを得ません。女性は、岡村さん以上にそちらの方に怒るべきだと思います。