はじめに:私が「死」をテーマに仕事することを決めた理由
ある年齢以上になったら、自分の周囲に死んだ人なんかいない、などという人はほとんどいないでしょう。
祖父母、両親、兄弟姉妹、親戚、配偶者、友人、知人、仕事関係者……。
人間関係の深さに差はあれど、自分と関わりのあった人が死んでしまったという出来事には、人生の中では必ずといっていいほどぶつかることになります。
つまり、多くの人が大なり小なり死別を経験し“なんとなくわかっている”のに、なぜそれをわざわざテーマにするんだろう?
なぜ、あんな辛いこと、苦しいことをわざわざ考えなければならないのか?
そんな風に思う人もいるかもしれません。
はい、私もそう思っていました。
というか、死のことをテーマにしようなどとは考えたこともありませんでした、夫と死別するまでは。
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私の夫は、金子哲雄と言います。流通ジャーナリストと名乗っていました。
そして、今から約7年前の2012年10月に他界しました。享年41歳。
テレビなどにも少々出させていただいていたので、彼の死はテレビや新聞にも取り上げてもらいました。
「急死」という報道が多かったようにも記憶しています。
そして、死後、夫自身によってさまざまな準備がなされていたことにも注目が集まりました。
通夜や葬儀のことは、自分自身が葬儀社と打ち合わせし、通夜振る舞い(お通夜の時に出す食事のことです)の内容まで決め、会葬礼状(通夜や葬儀の時に参列者に渡す礼状です)も本人が書き、遺言書は用意しており、そして戒名も生前受戒(生きている間に戒名を授けていただくことです。ちなみに戒名は「買う」ものではありません)していて、入る墓まで決めていた……。
その年、2012年の新語・流行語大賞のトップテンに「終活」という言葉がランクインしましたが、見事な「終活」を実行したということで、故人ではありましたが、「終活」代表者として受賞の栄誉にも与りました。
しかし、当時の私は混乱していました。
「終活」のことをよく理解していなかったこともあり、夫がしたことが巷で言われる「終活」とうまくつながらなかったのです。
たしかに通夜・葬儀の準備をし、遺言書で相続関係も整理し、入る墓を決めたのも本人です。
でも、夫がしたことは「それだけ」ではありません。
いや、それよりも、もっと大きなこと、もっと大切なこと、もっと「遺される人のためになる」「遺される人に力を与える」ことをした……。
当時の私は、そこまではっきりと言葉にはできませんでしたが、そんな風に感じていました。
なぜなら、病気が見つかった時にはすでに末期。治療法もなく、腫瘍の大きさや位置から「次の瞬間、窒息死するかもしれない」と言われ、そこから約1年半を闘病してきていたからです。
その1年半の間に、「通夜・葬儀の準備」とか「遺言書」とか「お墓」のことだけをしていたわけではありません。
むしろそれらは、亡くなる前の約1カ月の間にしたことです。
そしてその1年半の間では、同じく「闘病だけ」をしていたわけでもありませんでした。
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約1年半の闘病の間では、そういった、言葉にうまくできないこと、命の限りを突きつけられて見えてきたさまざまなこと、これまで何かを読んだり聞いたりして知っていると思っていたこととは違う現実……そんなことを私たちは共有していくことになりました。
そしてとうとう訪れた、本物の「もしもの時」。
夫は危篤状態に陥りましたが、医学的には説明のつかない回復をし、最後の40日間を過ごしました。
その40日で、夫と本当にさまざまな、いわば突っ込んだ話をしました。
そして私は「ああ、これを自分は夫の死後に行っていくんだな」と受け止めていくことになりました。
死を、重くも、だからと言って軽くも語らない。
死について、ドラマチックにではなく、現実を、実用性のある情報をストレートに伝える。
死に関わるさまざまな立場のどこにも偏らない(「当事者」にも偏らない)。
どのような死も、差別したり区別したりしない。
夫の死後は、さまざまな分野の多くの人に出会い、さまざまな話を伺いながら、そんなルールのようなものを、少しずつ自分の中に作っていく時間を過ごすことになりました。
夫が亡くなって約5年が経った頃。
厚生労働省から声がかかり、「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」のメンバーとなりました。
そこで検討され、あるガイドラインが約10年ぶりに改定されたのですが、私はこのとき、夫が死ぬまで行ったこと、私たちが夫を中心に行っていたことにようやく合点がいきました。
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)。
この改定ガイドラインのポイントであり、今後の日本を見据えたものになります。
夫が実行したこと、夫から引き継いだことが、ようやく国レベルの実行段階に入ったんだと思いました。
しかし、そこにはさまざまなハードルがあり、また、課題もたくさんあります。
本ブログでは、それらについて、1つ1つ見ていきながら、私たち自身が「どうすればいいのか」を考えていけたらと思っています。