金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

言論封殺も、患者支持も、結局は「区別」かも?

人生会議ポスターの一件は、世の中的には落ち着いてきたのでしょうか。しかし、この分野にどっぷり浸かっている身としては、なるほどなるほどと、またさまざまなことが見えてきて、大変勉強になっています。

 

金曜日から土曜日と、患者団体や遺族からの声がさらに出されました。

ransougan.e-ryouiku.net

news.biglobe.ne.jp

一報を目にした時、ポスターの発送中止報道の時と同様に「なぜ……」と思いました。どうしてこんなことになってしまったのだろうと、正直、かなり残念な、悲しい気持ちになりました。

さらにTwitterを見ていくと、患者団体からの意見や要望について言論封殺だという声もありました。公表された人生会議ポスターに、「いいんじゃない?」「患者団体からの意見の意味がわからない」という発言さえ許されない空気が生まれている、という指摘です。

このことに関連しては、私もずっと意識していることがあります。今日は、このことについて記してみたいと思います。

 

◆◆◆

私自身も夫を亡くした遺族です。そして他界した夫が多少名前と顔を知られていたため、死の直後は特に、その後も取材のオファーを頂戴することになりました。

しかし私自身は、死別して1年近く経つまで、そうした取材をお受けしませんでした。また、夫からの引き継ぎで、やはり1年が過ぎた頃から講演も始めることになりましたが、そこでも感情的な話は避けていました。

なぜなら、「遺族の声」はとても強いと思っていたからです。

 

大切な人を亡くした強い悲しみ、怒りを正面から否定できる人が果たしてどれだけいるでしょうか。こうすればよかったという後悔に、それもそうねと面と向かって賛同できる人がどれだけいるでしょう。

「遺族の声」は、批判や異論を(時には共感さえも)挟めないほどに、非常に強いものだと私は思っています。

多くの遺族は言います。「聞いてもらえるだけでいい」「気持ちをわかってもらいたい」。でも、私には個人的な感情は別にして「実現したいこと」がありました。

 

私は、自分に「遺族」というレッテルが貼られていることがよくわかっていました。

だから、自分の考え、伝えたいことが、「遺族」というフィルターに遮られて、正確に伝わらないことがとても嫌だったのです。

ちなみに、私が実現したいことというのは、夫とともに『僕の死に方』という本を制作しながら、死んでいく夫と対話を重ね、彼から引き継ぎされたことです。あまりに大きなことで、実現には至っていませんが、死別後に重ねてきた活動もその一環です。

 

あえて言葉にするならば、遺族、患者は「苦しみや辛さを抱えている人」で、「守られなければならない人」であり「ケアされるべき人」と普通の人は思っていることでしょう。死別や病気で苦しむ人を殊更に傷つけようという人は、本人自身に問題がない限りは存在しないと言ってもいいかもしれません。それは、気遣いや同情などの温かい気持ちからのものがほとんどのはずです。当人にとっては、ありがたく受け止めることも多い。

でも、「守られなければならない」「ケアされるべき」という、はっきり言ってしまいましょう“決めつけ”が、当人には非常に厳しい時があります。

なぜならそれは、差別まではいかなくても、私たちとは違う人、という区別が前提となっているからです。加えて言うなら、当事者からすれば、かわいそうな人、と相手から思われているなと感じることも少なくない。

 

夫は、次の瞬間窒息死してもおかしくないという末期の状態で病気が発覚しました。しかし、病気の公表はしないと、最初の段階で本人が決めました。「患者」というレッテルが貼られ、自分が望まないくらいまで気遣われる&ケアされる&励まされるのが耐えられなかったからです。

病気がわかった途端、社会は健康な人のために成り立っており、自分はもうそこに戻れないかもしれない、と思ったそうです。だから、親しい友人や知人に嘘をついても病気を隠し、社会の中に「健康な自分」という、いわば虚像を作ることにしたのです。

死がかなり近くなった頃に言いました。あそこ(社会の中に作った「健康な自分」という虚像)に戻れるように頑張ることが治療だと思っていた、と。

 

◆◆◆

誤解がないように書きますが、病気を公表する・しないについては、私は何も意見を持っていません。本人が決めることで、その意思を何よりも尊重したいと思うだけです。

でも、病気公表の背景には患者本人の相応の覚悟があるのだということを、もっと多くの人が理解しているべきだと思います。

多くの患者や遺族に話を聞いていて思うのは、たとえ身近な人に対してであっても、病気のことを話すのにかなりの覚悟が必要な患者もいる、ということです。現に、すでに故人ですが私の友人も、配偶者にがんであることを話すのに数週間が必要だったと話していました。

だから、患者(や遺族)の発言には、たしかに敬意や感謝の気持ちをもって耳を傾けてほしいとも思います。

 

でも、それでも患者や遺族には、「守られなければならない人」「ケアされるべき人」であるからこそ、区別の対象になってしまうという一面もあります。

そしてその区別の根底には、意識している・していないに関わらず、(健康な)私たちとは違う人という認識が存在します。だから、彼らの主張は100%“聞き入れなければならない”という反応になってしまう。

患者団体の意見・要望に対して、言論封殺だという主張こそ、ひょっとしたら発送中止は当然の処置だという意見さえ、患者や遺族だから…という理由をつけての区別なのかもしれないということを指摘したいと思います。

 

◆◆◆

患者や遺族は、何を望んでいるのでしょうか?

それが何かはわかりません。実感として思うのは、本当に「人それぞれ」であるということです。

亡夫や私のように、そういうレッテル貼りや区別の方が耐えられないという人も少なくありませんが、一方で、気遣ってほしい、わかってほしいと思う人も大勢います。

 

今回の人生会議ポスターの騒動でわかったことは、やはり「対話」が必要だということです。相手の主張や気持ちは、聞いてみなければわかりません。こと、死に関することについては、あまりにも個人的なものであり、人それぞれで、そして主張や気持ちの強度も非常にさまざまだからです。

必要なのは、「なぜ?」という問いかけです。あなたはどうしてこうした(い)のか?と、背景にあることをまず聞くことから始めていただきたいのです。相手の話をよく聞くことから、対話はスタートしてほしい。

 

患者団体には、だから意見書や要望書ではなく、ポスター制作の背景を尋ねる質問状を送ってほしかった。そして何より厚労省は、すぐに発送の「中止」を発表するのではなく、経緯の説明をしながらとりあえず「延期」(結果的に中止にしたとしても)の措置をしてほしかった。

それが人生会議のポスターであるがゆえに、対話を始めてほしかった。正直、私はこのように思いました。

 

人生会議がめざすことは「話し合うこと」です。患者団体からのご意見やご要望を承り、こうしたポスターにいたしました、というのではなく、制作サイドの思いや「なぜそうしたのか」まで伝えていただけたらと思います。

その話し合いの経過の発信さえも、人生会議の啓発だと思うから。

実際の人生会議の場も、答えがない話し合いです。というか、答えを求めることが目的の話し合いではありません。意見や思いのぶつかり合いは当然。その先をどうしていくのか、話し合うこととはどういうことなのか、人生会議ポスターを通しても、1つの例を提示していっていただけたらと思います。