金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

今クールの医療ドラマから思うこと

いくらドラマ好き、しかも「ドクターX」を毎回チェックするくらい医療ドラマも結構観る方だと思いますが、今クールは医療ドラマが多すぎて、始まる前から食傷ぎみ。観る作品を絞ってしまいました。

 

一応、終活ジャーナリストを名乗っていますので、その中の一つは「病室で念仏を唱えないでください」をチョイス。主人公の救急救命医であり僧侶の松本照円(伊藤英明さん)のよき理解者?である、余貴美子さん演じる病院理事長が「わかこ」と同じ名前であることが決め手だったりもしますが(苦笑)。

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さて、このドラマを好ましく思うのは、主人公が医師としても僧侶としても発展途上で、まだまだ&まだまだ!なところです。上から目線で言っちゃいますが、これはとても大事なポイントだと思っています。

 

仕事柄、立場のあるお坊さんにお会いすることもありますし、何よりご縁をいただいているお坊さんからいろいろなお話を伺いますが、ちゃんとしたお坊さん、言うなれば宗教家からは、「立派な話をしよう」もっと言えば「正しい生き方をしなければならない!」などという肩に力が入った感じをほとんど受けません。あくまで個人的な心証ですが。

つまり、きちんとした宗教家からは、自分を認めてもらいたい、という承認欲求を感じないのです。

 

私の持論に、自分の奥様(性差別的で限定的な言い方ですみませんが)から「院長」とか「住職」と呼ばれる仕事は、それは職業ではない、というものがあります。

自らの妻からそう呼ばれるということは、プライベートも「医師」であり「僧侶」だからです。

それは、職業ではなく、生き方だと私は理解しています。

 

だから、ある意味「到達点」がないのかもしれません。これでOK!という終わりがない。

仏教でいえば、現世で覚りをひらけないのと同じです(言ってはなんですが、“覚りをひらいている風”に見せている人は、私にはとても演技的でヤバい人物に見えてしまいます……)

 

真の宗教家は、自分の「いきる」(宗教的に言えば「修行」ということでしょうか)に集中しています。

仏教は「教え」の理解ではなく、「実践」であるということを体現している存在です。だから、その言葉には重みがあり、人の心を打つ力がある。

 

そんなわけで、ドラマの中で主人公の松本照円が院内チャプレンとして、一所懸命に教えを説く姿が好ましく映るのです。法話が全然板についていないから(笑)。

でも、その姿からは、自分の未熟さを隠そうという意思が感じられません。自分を認めろという、立場からの押しつけもありません。

というか、そんな他人の目は、頭の中のどこにもないのでしょう。自分の「いきる」「修行」に集中しているから。

末期がん患者からも、救急で運ばれてくる子どもからも、亡くなった人からも、落ち込んだり泣いたり、時には大失敗をしながらも、真摯に学ぶ姿がとても爽やかです。

そして、時に宮崎美子さん演じるお掃除の「おばちゃん」と、下に見たりえらぶったりすることなくいろいろ話したりもする姿もとてもいいなあと思って観ています(おばちゃんの名前が「弁天」という名字だと、この前の回で発見しました!細かく作り込んでいますね〜)

 

私たちは、目の前にいる人を、そのまままっすぐに見ているのでしょうか。というか、本当に「その人自身」が見えているのでしょうか。

「僧侶」や「医師」というフィルターをかけていませんか?

僧侶だから、医師だから立派である、と決めつけるのは、私は違うと思います。たしかに、大変な役目を負っている方々ではありますが。

でも、命の終わりが見えてきた、その苦しさ、厳しさを彼らに委ねることはできません。“本物”は、自らも自分の苦しさ、厳しさから逃げず、それを引き受けて「いきる」存在だからです。そして、他人がそれを引き受けることができないということもよく知っているからです。

 

ACP(アドバンス・ケア・プランニング、人生会議)を進めようとする時、もしもその時が、自分の命の終わりが見えてきた時であったなら、果たしてあなたはどんな人と話したいと思うのでしょうか。

 

当てが外れた、こんな人とは思わなかった、わかってもらえず失望した、いろいろあると思います。でも、それがわかった、ということもまた1つの成果です。望むと望まないとに関わらず、自分が生きていたところから一歩深く踏み込んだと言ってもいいかもしれません。レイヤーが変わったと言い換えることもできるかも。(スピリチュアル的な意味ではなく)見える世界が変わるきっかけになるかもしれませんね。

でもその時、できれば「こういう人は、自分には合わない」ということまで言葉にできるといいのですが。

人生会議は、自分自身も含め、家族、友人知人、医療や介護の専門家たちなど、自分に関わる人たち自身を知ることができる機会でもあります。

 

ドラマは、新しい章に入ったようです。医師として僧侶として、主人公が激しく揺さぶられることが想像されます。どれほどの死に立ち会っていたとしても……ですね。でも、成長が楽しみです。あ、でもこれって、病院理事長と同じ感覚かも(大汗)。