金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

人生会議のことを思いながら、新型コロナウイルスの一連の事象を見ています

新型コロナウイルスに関連する報道やらその反応を眺めています。

そして、人生会議を広めていくのは、やはりとても大変だなあと改めて思っています。

 

以下のように整理して意訳?してみました。不備不足がありましたら、お許しください。主旨はそこにはありませんので……。

 

<病気について>

  • 未知のウイルスである(さまざまなことがはっきりしない)
  • 人から人に感染する
  • 飛沫感染(咳とかくしゃみとか)だけでなく、接触感染する(感染した人がウイルスを付けた手などで触ったところを触っても感染する)
  • 症状がない(=病気だとはっきりわからない)感染者もいるので、知らず知らずのうちに他人に感染させてしまう可能性がある
  • しかし、感染者の約8割は他人に感染させていない
  • とはいえ、クラスターが形成され、そこから広範囲に感染が広がってしまう可能性がある
  • 治療法がない(発熱や咳、のどの痛みなどに対する対症療法のみ)
  • 感染しても軽い症状で自然に治る人が多い
  • しかし、高齢者や基礎疾患がある人は重症化し、亡くなる場合もある

 

つまり、

〇(約8割は感染させないとしても、自分が自覚症状のない感染者かもしれないので)感染拡大を抑えられる大事なこの1〜2週間は、他人に感染させないような行動とること

〇高齢者や病気を持っている人は特に注意すること

〇症状が出ても、落ち着いて、発表されている対応策をとること(もうちょっと「発熱したらこうする」とか「喉が痛かったらこうする」などと、「病院に来ない方がいい」だけでなく、医療従事者がはっきり言っていただけるとありがたいですが……。アレルギーなどもありますので、おいそれとは市販薬を飲んで様子見してください、とは言えないとは思いますが。こういう時、かかりつけの先生がいると安心ですね)

というだけで、一般市民としては十分なんだと思っているのですが、検査について、もっと検査しろ、いや、ルールに則った検査で十分だ、と専門家の間でも意見がわかれ、さらにそこに「検査をさせてもらえなかった」と憤ったり泣いたりしている人へのインタビューなど、不安をあおるような報道も行われています。

専門家の主張をよくよく聞いていると、

  • 状況把握のために、なるべく正確な感染者数を知る必要がある(だからもっと検査しろ)
  • 新型コロナウイルスだと診断がつかなければ治療もできないし、感染拡大も防げない(だからもっと検査しろ)
  • 重症化すれば死の危険がある。それには風邪なのかインフルエンザなのかわからないような軽症のうちに治療が必要だ(だからもっと検査しろ)
  • 市民が不安に思っているのならば、安心感を与えるためにも明確な情報が必要だ(だからもっと検査しろ)

VS

  • ともかく今は、感染拡大をできる限り防がなければならない。それには、もっとも感染リスクの高い病院への受診を控えてもらう必要がある(だからルールに則った検査で十分だ)
  • 不安な人が病院に押しかけたら、医療が崩壊してしまう。そうなったら余計に感染が拡大し手が打てなくなってしまう(だからルールに則った検査で十分だ)
  • そもそもPCR検査は、きちんと陽性を判定できる精度があまり高くない検査なので、希望者全員がしたところで意味がない(だからルールに則った検査で十分だ)
  • 陽性とわかったところで、治療法があるわけではない(だからルールに則った検査で十分だ)
  • 今後に生かせる疫学調査国立感染症研究所が行っている(だからルールに則った検査で十分だ)

みたいな感じでしょうか。

その流れの中で、国立感染症研究所から「市民の皆さまへ」と題された声明も発表されました。

www.niid.go.jp

……と、ここまで書いてきて思いますが、ともかく情報が多い!多すぎる!そして複雑です!しかも、医療に関わることで正確を期するために、1つ1つの情報がいちいち長い!

 

そして、特に言えますが、専門家が専門家に向けた(向けているだろうと思われる)発信や発言もそこには含まれており、市民としては、それも知っておいていい情報ではありますが、関連情報が多すぎる今は、整理する頭が追いつかない人も少なくないのではないでしょうか。

というか、どれが専門家に向けて言っているか、などと普通の方はわからないかもしれません。

 

そしてようやく本題。

これって、人生会議に関係することにも言えるなあと思っています。

 

  • 死は未知のもの(人体がどうなれば死ぬか、ということはわかっていますが、「死」はそんな知識だけでOKというようなものではありませんよね?)
  • 100%決まっている未来という意味で、回避できない(「治療法がない」というレベルの話ではありませんね)
  • 「人生」は、思う以上に複雑(死に関わることだからと言って、医療従事者だけで対応できるものではありません。人が死ぬということは、肉体が機能しなくなる、というだけのことではありませんよね?)

 ともかくも、未知のもの、というだけで、今日本中、というか世界中に蔓延しているような不安やら恐怖やら疑心暗鬼やら、というネガティブな感情を人の心のうちに生んでしまうものである、ということですね。

 なぜ人生会議をする必要があるのか?ということはさておき、人生会議は未知のものである死を前提としていることから、もうこの時点で、やっぱりハードルが高いのだなと改めて認識しました。

 

また、「人生」を構成する要素は思う以上に複雑で、その要素一つ一つもとても複雑です。一方で、その複雑さが人生の醍醐味であり、面白みであり、豊かさでもあるのですが……。

しかし、その話をしようとすると、これまた情報が多くなる!そして、なんとか正確に伝えようとするから1つ1つが長くなる!だから、読んだり理解するのも面倒になってしまいがちですよね。

 

加えて、専門家が専門家に向けた(向けているだろうと思われる)発信も、特に本当に死に直面した人、真剣に死について考えている人に混乱をもたらす場合も少なくありません。

……と、このことはまた、別の機会に書いてみたいと思います。

 

長くなりすぎました……。申し訳ありません。

でも、「わかりやすさ」は、時として誤解や混乱を生むと、新型コロナウイルスに関する一連のことがらを見て思っています。