金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

「不安」は、1つ1つ言葉にした方がいい

現在、発売中の「女性セブン」3月19日号にコメントさせていただきました。

中でも、タレント・リポーターの菊田あや子さんが自宅でお母様を看取られた体験に寄せて、少しお話させていただいたのですが、この取材を通して、私も改めて深く当時のことを振り返ることができました。

 

自宅で看取るという時、多くの人が不安を抱きます。もちろん私もそうでした。

「もしものことがあったら、どうしたらいいのか」

正直なところ、その不安は恐怖に近いものです。そのことを口にするのも耐えられないほどに、とても怖かった……。

ちなみに今、新型コロナウイルスに対する不安を抱いている人の中には、こんな恐怖に近い感情を抱く人も少なくないのかもしれませんが……。

 

で、当時、その不安を口にしたところ、それを聞いた看護師さんからこう言われたのです。

「もしもって、何? どういうことなの?」

ハッとしました。看護師さんは言葉にしないものの、表情で雄弁に語っていたからです。病気がわかった時から次の瞬間に窒息死するかもしれないという末期の状態で約1年半闘病してきた。あなたも金子さん本人も、金子さんが死ぬということはわかっているわよね?と。

私が恐れている「もしものこと」とは、一体なんなのか。何がそんなに怖いのか。それを言葉にすること、それと真正面から向き合うことを突きつけられた思いがしました。

 

夫は、私よりずっと早くその不安を言葉にできていました。

「あんなに痛い状態で死にたくない」

「あれほど苦しい状態で死にたくない」

ものすごく痛い思いをしたり、肺を病んでいたので死ぬかと思うくらいに息ができなくなったり……という経験を闘病中にしてきたからです。

その不安は何度も主治医に伝えることになりましたが、そのたびに、先生や看護師さんから「痛いとか苦しいなどという状態のままでは絶対に死なせない。絶対にそうはさせない」と力強く言っていただきました。

それは、先生や看護師さんのやさしい気持ちからの、慰めや励ましでかけられた言葉だけのものではなく(もちろんやさしいお気持ちは十分いただきましたが!)、セデーションというれっきとした医療行為のことを指していました。先生や看護師さんは、確証をもって「それは大丈夫、そんなことには絶対にさせない」と言っていたのです。

 

ちなみにセデーションについては、さまざまな考え方や選択、課題などがあり、私も↓のように書いたこともありますが、新型コロナウイルス並み?に、多くの知識や情報を得ないと、このことについてはなかなか…深く語り合ったり話し合ったりすることが難しいと言えます(とはいえ、自分の宗教観や哲学……みたいなものも語り合う中で見えてくると思いますが……。これはこれで、とても意味のあるものです!)

ameblo.jp

そんなわけで、命の限りが見えてきた時、「もしものこと」を具体的に考えたり、ましてそれを言葉にしたりすることがどれほど苦痛を伴うかを、私は経験的に知っています。

でも、その上で言いたいです。だからこそ「不安」を、1つ1つ言葉にした方がいい、と。

医療だけでなく、お金のこと、家族のこと……さまざまな「不安」を口にしてみる。それに対して、専門家は(あるいはあなたの周囲にいる友人知人は)解決やサポートの方法を知っているかもしれません。

夫の「痛い状態、苦しい状態で死にたくない」という不安に、医療者の「絶対に大丈夫。そうはさせない」という力強い断言を裏付けていた医療行為があるように。

 

だけど、その「不安」は、一体だれに言えばいいんでしょうかね……。

言い換えれば、自分が弱音を吐ける人は、どこにいるのか……。

実は、こちらの方が難しいという人も少なくないと私は思っています。不安を語り合える関係は、そんなに簡単には築けない。

だからこそ思います。新型コロナウイルスのことで、言葉にならない不安が社会の中に蔓延している今がチャンスだと。

不安を「なかったこと」にして、明るく楽しく過ごす時間も必要ですが、不安は「実際には確実に存在するもの」であり「不安をまったく抱かない人はいない」ので、その不安を語り合う時間も作ってみることをお勧めしたいです。

その時、この人には自分がどこまで心の中を話せるのか、自分はこの人の話をどこまで聞けるのか、そんな間合いのようなものも意識するといいかもしれません。

また、不安にはさまざまなものがありますよね。お金のことを話せる人と話せない人、家族の問題を話せる人と話せない人……。テーマごとに、「話せる人」を探してみてもいいかもしれません。

 

あらゆることを共有できた、オール・イン・ワン的存在だった夫と死別して、私自身もこのことにぶつかっています。新型コロナウイルスは、ウイルスの脅威より、それに伴う想定外の問題の方が私には難しいし、しかも怖い。これまでとはまったく違う感覚で、夫が生きていたら……と、さすがに思ってしまうほどです。

でも大人として、ここは踏ん張りどころ。まさに胆力を試されていると受け止めています(いつも胆力を試されているような気もするけれど……苦笑)。

 

話すことで、あるいは、聞かされることで、それまでの人間関係が壊れてしまうかもしれません……。

でも、それもまた人生なのかなと私自身は思います。人生の後半戦は、より本質的なものを共有できる人間関係の方を重視したいし、築いていきたい。配偶者がいないからこそ、人との真のつながりの大切さが身に沁みているので心からそう思います。

もちろん配偶者がいる人でも、夫婦関係はさまざまですから(大人なのでいろいろありますよね!)、これについては婚姻関係や年齢・性別に縛られず、本心を語り合える人、弱音を吐ける人を、これを機に自分の人間関係の中で把握したり、あるいは探したりすることをお勧めします。

なぜなら、この関係が、命の限りが見えてきたり、死を意識したり、人生の最終段階に入ってきた時に、何よりとても大きな支えになることが多いからです。

新型コロナウイルスは、おそらくとても大きなダメージを社会に与えることになりますが、でも私は、個人の生活においては、とても大切なものを連れてきてくれる?気づかせてくれる?ようにも思い、ある種の期待感すら抱いています。

闇の中にいなければ、真の光を見ることはできません(あ、まやかしの光にはご注意ください〜。これもまた、そこら中にあふれていますよね)。