金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

重さのある言葉とは

新型コロナウイルスは、私たちにさまざまなことを突きつけてくるなあと、毎日思っています。

 

そんな中、こんなニュースが目に飛び込んできました。

bunshun.jp亡くなられた赤木俊夫さん(享年54歳)の奥様が遺書を公表され、国と財務省の佐川元理財局長を提訴したのです。

国は、調査は既に終わったと「再調査を行う考えはない」と反応しましたが、そのあまりの反応に、正直クラクラしました。

ご主人を亡くして2年という三回忌の節目に、奥様がどれほどの覚悟をもって起こした行動かが容易に想像できるからです。

夫を亡くした心身へのダメージからは、まだまだまったくと言っていいほど回復などしていないでしょう。加えて、ご主人の同僚であった近畿財務局の方や奥様自身の知人にも多大な影響を与えることです。どれほどの葛藤の末に、判断したことだっただろうと、そのことを思うだけでも激しく心を揺さぶられました。

でも一方で、これはひょっとして、私が赤木さんの奥様と同じく夫を亡くした妻だから感情的に触れているだけなのかもしれないと思いました。奥様の(肉声ではありませんが)「言葉」に、同じ遺族の立場故に激しく揺さぶられてしまったのかもしれないと……。

でも、その後の報道や、何より本件を記事にした相澤冬樹さんの書いた物、動画などで、それは考えすぎだとすぐにわかりましたが……。

news.yahoo.co.jp

2月の終わり、新型コロナウイルスに関連して、安倍首相が全国の小中高校に対して臨時休校を要請。その後、記者会見を行いました。

その時、私は安倍首相のあまりの言葉の軽さに、身体が動かなくなってしまうほどにショックを受けてしまいました。どれほどの重大な状況かが、この人にはまったく理解できていないのではないか……と。あまりに他人事のような言葉に感じられ、そんな感性の鈍い?理解力のない?人がリーダーなのだと、恐怖に近い感情を抱いてしまったほどです。

 

新型コロナウイルスは今、世界中に感染を広げています。日々報道されるように、欧米諸国もその対応と対策に追われています。

致死率はそれほど高くなくても、感染力があり、感染の広がりを食い止めるとともに感染者の重症化と医療崩壊を防がなければ、国内が大変なことになってしまいます。同時に、ウイルスのことばかりを気にしていたら、今度は経済が大きなダメージを受け(すでに影響が出ていますが)、人々の暮らしがめちゃくちゃになってしまいます。

未知の病気とお金、この2つは人々の不安をかきたて、気持ちを荒らし、そうなると治安も悪くなっていくでしょう。荒んだ社会を回復させるのは、並大抵のことではありません。

しかも、相手は、目に見えず匂いもないウイルス。加えて、インターネットその他で世界がつながり、人や物、お金の移動も以前とは比べものにならないくらいに頻繁で、且つ複雑に絡み合う現代社会。そんな状況下で、どのように穏やかに緩やかにランディングさせるのか……。

 

地球規模で見れば、私みたいな門外漢であっても、自国だけよければいい、というわけにはいかず、意見や考えが違う相手ともうまくやっていく、文字通りの共生を求められている……と理解できるわけですが、まずは国民1人ひとりがきっちりと意識と行動を変えていかなければ、この局面は乗り越えられないと、各国のリーダーたちは、国民に向けてメッセージを出しています。

 

SNSで目に入ってきたのは、ドイツのメルケル首相の言葉でしょうか。文字だけでも、まっすぐに伝わってくる力があります。

www.afpbb.com

誰かのせいにしたいのね?という、リーダーの残念な言葉も入ってきていますが、いずれにしても、(それが怒りや強烈な自己主張であっても)その人の思いがのった重さの感じられる言葉であることはたしかです(子どもじみた言い合いがいきすぎると、あまりよくない結果を招くように思いますが…)

 

翻って、安倍首相の言葉です。

もともとの声質もあるのでしょうが、重さが感じられない……。冷静であろうとしているのかもしれませんが、思いがのっていないと、わかります。

各国のリーダーたちの言葉は、言語がわからず何を言っているのか理解できなくても、こちらに届く力と重さがある。

でも、安倍首相の言葉は、日本語で理解できるにも関わらず、映像で見ても文字で読んでも、こちらに届く前に途中で落ちてしまうような軽さです。だから、伝わらない。

 

事実を知ることは大切なことです。正確な情報を得なければ、自分で考え、判断することができません。

でも、その事実を伝えようとする人を信じることができなかったら……。

「私はたしかな事実を伝えている。それを受け入れられないのは、あなたの問題だ」ということなんでしょうか。私にはそうは思えません。

「どうしてもあなたにわかってもらいたい」「この問題をなんとしても解決したい」という思いがのった重さが、その言葉にあるかどうか。だからそれを受け取った人は、伝える人の人間性は横に置いておいても、その真摯さに反応するのではないでしょうか。

人を動かすには、まず人の心を動かさなければならない。

そして人の心を動かすには、事実や正確な情報よりも、伝える人の思いの方が重要であるように思います(だからこそ、権力者の言葉がやばい方向に向かわないように監視する役割をメディアが負っているわけでもありますが。そしてもちろん、その言葉の方向が自己保身であるのなら人の心は動きませんよね)

 

思いがのった言葉、それは「自分の言葉」と言われるものでしょう。

スピーチライターが書いた素晴らしい言葉であっても、命を吹き込むのはそれを話す人。言葉には、目には見えないけれど確実に重さがある。

私たちは今、それを日々目の当たりにし、さまざまに感じる機会を得ています。

 

こと死の前後においては、人の言葉の重さを感じられる感性については、努力して磨く必要があるものかもしれません。事実がどうだったかとか、エビデンスがこうだとかというだけでは、納得できない、受け入れられない、次に進めないことが、死に関わってくるところではたくさんあるからです。

イラついたり傷ついたりしますが、未曾有の危機を前にしたリーダーたちの言葉を、そういう側面からもよく聞いていきたいと思います。

 

言葉の持つ力については、こんな小説をおすすめします。

www.tokuma.jp