金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

「幸せ」って何だろう?

「幸せ」って、何なんだろう?と、改めて思っています。

体調不良から回復できなくなってしまうので、SNSなど激しい言葉が飛び交うメディアを見る時間をコントロールしていますが……。

それにしても、ああ、あなたはそういう人だったのですか……と残念に思う言葉が目に付きます。

スポーツ観戦の感動を例にとり、今、前線ではたらくプロの人たちを「選手」になぞらえて彼らを取材して伝えたらどうか、という著名人による提案は……、非常に残念に思いました。

考え方はわかります。私もスポーツの業界で仕事をしてきたので、スポーツの魅力が「その時、その場で」というライブにあることはよくわかっている。でも、その方の言う「選手」の先にいるのは……、一体誰だというのでしょうか。

命が失われるかどうか……というぎりぎりの局面を経験したことがある、という人の方が少ないのかもしれませんが、生きるか死ぬかということを経験した人は、こんな文脈では現場取材をしてライブ中継したらどうかなどとという提案はできないと思うのです。

 

Happiest

ご存じのようにHappyの最上級ですよね。

 

経済的にも、容姿にも、頭脳にも、家族にも、友人にも、仕事にも恵まれている。

子どもの頃からずっとそういう環境で過ごし、結婚後の伴侶も非の打ち所がなく、お子様も素晴らしい。そして、生涯に渡り、お金にも人間関係にも何の不安もない……という中で暮らしていく……。

多くの人が憧れを抱くのは、こんな「幸せ」なのかもしれません。

そして、こんなHappyの、さらに最上級であるすべてを持つHappiestさんは、実際に存在しますよね。私も会ったことがあります。

 

でも……思うのです、その人は本当に「幸せ」なのか、と。

彼らは、性格もとてもよく素直ですので、感謝の心を忘れません。欲望のままに、あれもこれもともなりません。裕福ですので一般人が考える「質素」とはちょっと違いますが、でも「身の丈にあった生活」を送っています(「身の丈」はとても大きいですが…)。

 

でも……やっぱり私は思うのです、その人は本当に「幸せを知っているのか」と。

お金が大事なのはわかっていますが、でも本当のお金の価値や意味を理解できるのは、ひょっとしたらお金を失った時なのかもしれません。

健康が大切なのはわかっていますが、でも本当に健康が大切なんだと理解できるのは、病気になった時ではないでしょうか。

そして、この人がとても大切な人だとはわかっていますが、でも本当にかけがえのない人だったんだと身にしみるのは、その人が死んでからだと思います。

つまり、すべてを持っている人、多くを持っている人は、持っているが故に、手にしているものの本当の価値をわかっていないのかもしれない、と私は思うのです。

 

冒頭に戻ります。

「幸せ」って何だろう?

 

自分の手にしているものの価値がわからず、命に向き合う最前線ではたらく人をライブで観たい、とスポーツ観戦になぞらえて言えてしまう感性は、私には不幸せにしか見えません。

 

幸せとは、幸せの価値を知っていること、ではないかと思うからです。

夫も子どもも財産もなく、おまけに今は仕事もストップしてしまっている私は、そう深く感じています。

……と、そんなことをふと思ったのは、今日が亡夫の誕生日だからです。

生きていたら49歳。今のこの状況をどんな風に感じるだろうか、語り合えないのがちょっと残念ですが……。