金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

遺族の物語を通して感じてほしいこと

自粛生活も長くなってくると、そのリズムに体が慣れていきますね。

先日は、精神疾患を患う人の支援をされている方のお話を伺う機会がありました。精神疾患を抱える方も、というより、患っているからこそ私たち以上に、生活リズムがこれまでと異なることには大変なストレスがあります。支援者側も、とても用心深く丁寧に見守っているのだなあとお話から感じられましたが、患者さんも本人のペースで、この生活に順応していっている様子がうかがえて、なんというか……人間が本来持つベーシックな力、その力強さに改めて感じ入った次第です。

私たちは、もう少しだけ、自分たちが生まれながらに持っている力を信じてもいいのかもしれません。

 

とはいえ、経済への大きな影響は、個人の力だけではどうにもなりません。

パンフレットに寄稿させていただいた映画が、公開後まもなくからの新型コロナウイルスの影響により上映できなくなり、とても気になっていました。

この映画です。

moviola.jp

「巡礼」というタイトルから連想されると思いますが、遺族の物語です。

新型コロナウイルスでほぼパニックのようになってしまっている社会の空気の中では、死を連想させる話は伝わりにくいし、むしろ忌避感を強めるだけだろうと思って、お知らせも控えていました。

寄稿した記事の一部をご紹介します(配給会社さんの許可を得ています)

 「巡礼の約束」は、大切な人と死に別れた遺族の物語でもある。しかし、遺族の物語と聞いて、同じ遺族同士、悲しみを共有し、巡礼の旅を続けていく中で癒やされ、家族の絆は再び結び直されるだろう。そんな、こちらの浅はかな予想は簡単に裏切られる。日本人が好みそうな、そんな甘ったるい感動物語とは一線を画した作品なのだ。

 なぜなら、悲しみは共有できないから。

 

幸運にも、そして何より医療従事者や介護職といった最前線で働く人の献身的な仕事によって、日本では新型コロナウイルスで亡くなる人をこれ以上増やさないようにとなんとか抑えています。

しかし、今この瞬間にも、新型コロナウイルスだけではなく、さまざまな病気で、あるいはケガで、生死の境にいる人がいます。そのご家族もいるでしょう。

そして、亡くなる人もいる……。

がんだけに限っても、1日に1,000人以上の方が亡くなっていることをご存じですか(2018年にがんで死亡した人は373,584人)。

誰もがいつかは必ず迎える未来(=死または死別)なのですが、多くの人が無かったことのようにして暮らしています。そうでなければ、精神を保って生きられない、という人もいるでしょう(怖いから?)。

死は、「自分さえしっかりしていれば、こうやって“正しく”生きていれば、人生をうまく生きていける。失敗なく進んでいける」ということに、いとも簡単にNOを突きつけます。

“正しく生きていれば大丈夫”なんて、そんなことは幻想だよ、と。

どんな生き方をしようが、自覚的に生きていようが、死だけは自分では選べないんだよ、と。

これまで積み重ねてきたこと(それは人間関係だったり仕事の実績だったり財産だったり、あるいは「徳」ということもあるかもしれません)が、あまりにもあっさりゼロリセットされてしまう……それが「死」だと、思っている人もいるかもしれません(「自分の死」を思うと、それは真実だなと思いますが……)

 

しかし、死は、そんなに単純なことなのかな、と個人的には思っています。「無かったことにしないと生きていけない」くらいに、怖いものなのだろうか、と。

そう思えるようになったのは、大切な人との死別の経験を得てからです。

死は、普通に私たちの近くにあり、そしてとても自然で、(語弊のある言い方かもしれませんが、実感としてあるのでそのまま書きますが)「豊かなもの」です。

もちろん、苦しさや厳しさもある。でも、それだけではない。だから「豊か」だと思うのです。

 

「巡礼の約束」は、チベットを舞台にした映画です。タイトル通り、聖地への巡礼、しかも五体投地というもっとも丁寧な礼拝方法で向かうロードムービーでもあります。

長くなってしまうので語句の説明は省きますが、ACP(=人生会議)の意味と価値が深く伝わってくる映画でもあり、また地域との関わり、信仰の意味、チベット版在宅医療?も描かれます。

 

ぜひ観ていただきたいのですが、新型コロナウイルスにより、映画館での上映は来年となっています(岩波ホールは、2021313()42()期間、再上映を予定)。

 

そこでと言ってはなんですが、「仮設の映画館」という取り組みをご紹介します。

www.temporary-cinema.jp

詳細は、↑のサイトをご覧いただきたいですが、この取り組みは「映画とミニシアター映画館と独立系配給会社への観客の応援の力をお借りしたい」という、映画作品を提供する側からの真摯なお願いでもあります。

もちろん映画だけではありませんが、消えてしまったら二度と戻らないもの、消してはいけないものが世の中にはあると思います。関心のある方には、ぜひご検討いただけたら嬉しいです。

 

なお、パンフレットも購入可能です。こちらをご確認ください。

以下にも転載させていただきます。

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《『巡礼の約束』『タレンタイム~優しい歌』パンフレット販売のお知らせ》

仮設映画館で公開中の『巡礼の約束』『タレンタイム~優しい歌』のパンフレットを通販で取り扱っております。

購入ご希望の方は弊社メールアドレス( info@moviola.jp )まで、

【商品名】【必要部数】【送付先住所(郵便番号/住所/氏名)】をご連絡ください。

  • 『巡礼の約束』パンフレット:800円(+送料)
  • 『タレンタイム~優しい歌』パンフレット:800円(+送料)
  • ヤスミン・アフマド特集&『細い目』パンフレット:800円(+送料)

※『タレンタイム』サントラは在庫切れで現在は取り扱っておりません。

※支払方法は「銀行振込」のみとなります。詳細はメールにてご連絡致します。また、新型コロナウィルスの影響により、商品の発送に時間がかかる場合がございます。

※その他の弊社作品のパンフレットを通販希望の方も info@moviola.jp にお問い合わせください。

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「自粛疲れ」「気の緩み」などと言われていますが、未知のウイルスに対峙するにしても、少しずつ多くの人の心に余裕が出てきているのかな、と思います。

そろそろ死について、人生会議について、書いていきたいと思っています(本ブログでもちょっと書いていますが…汗)。

母の日によせて

今日は母の日です。

母の日の由来については、ネットで調べてみてもいいでしょう。諸説あるようですが、有名なところでは、アメリカのある一人の女性が、亡き母への敬意と追悼の意を込めて教会でカーネーションを配ったことから始まった、というものがあります。日本にもすっかり定着している行事ですね。

……なのですが、私は少し違った角度から、母の日について思っていることを記しておこうと思います。

 

「お母さん、ありがとう」があふれるこの日の前後、つらい気持ちを抱える人たちのことがいつも気になります。

いわゆる毒母と言われる、難しい人が母親である人。

毒母まではいかなくても、母親との関係に苦しさを感じる人。

義母との関係に苦しむ人。

母親を亡くした人。

そして……、子どもを亡くした母親。

そういう方々に、子どものいない私ですが、いつも伝えたくなることがあります。

 

子どもは、その命が授けられた瞬間に、すでに役目を終えている、と。

 

大きな子ども、小さな子ども、この世に生まれてこなかった子ども……そんな子どもを亡くした母親たちからさまざまなお話を伺いました。

その大きな悲しみは、「悲しみ」という言葉だけではとても表せないものです。というか、子どものいない私には、想像すらできません。

しかし同時に、その悲しみの裏には、大きな喜びがあっただろうなということも、感じられました。命を我が身に宿した感覚、周囲の人の嬉しそうな様子、命が生きていると実感できる喜び、誕生の瞬間、子どもの重み、何の疑いもなく全身を預けてくる子どもからの大きな信頼、邪心ゼロの笑顔、精一杯の泣き声、毎日毎日積み重ねられていく成長…………。

そのすべてを、私は経験したことがありません。だから言えてしまいます。

筆舌に尽くしがたい悲しみや苦しみは、筆舌に尽くしがたい喜びや幸せとセットなのではないか、と。

それらはすべて、新しい命との出会いがなければ、決して得ることなどできないものだからです。

そう思うようになったのは、これもまた言葉には言い表せないほどの苦しさの末に、不妊治療の中止を決断した人の思いを聞いてからです。

喜びだけでなく、苦しいこともつらいことも、すべてを連れてきてくれる子どもを望んでも望んでも得ることができない、と受け入れることもまた、本当に苦しいことです。

だから、思うのです。子どもは、その命が授けられた瞬間に、すでに役目を終えている、と。

 

つまり、子どもは子どもとしての役目を終えた状態でこの世に生まれてきます。

親は、子どもに関連したあらゆる感情、あらゆる経験、あらゆる学びを、彼らから得るだけです。

だから、「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」などと、言いたくなければ言わなくていい。そう私は思います。むしろ母親の方が、「あなたが来てくれて、私の人生はここまで豊かになった」と、感謝を伝える側なのかもしれません。

感謝は、(母親であってもなくても関係なく)他人からしてもらった行為、寄せてもらった思いに対してすることです。親だからしなければならない、ということではありません。

 

こうして考えてみると、介護についてもまた同じことが言えるのかもしれませんね。

「自分も育ててもらったから……」と親の介護を考えていると、どこかで行き詰まってしまうのかも。自分を育ててもらった代わりに、お礼として親の介護があるのでしょうか。

親子の関係に、ギブ・アンド・テイクは馴染まないと思います。

 

もうタイトルも忘れてしまいましたが、昔読んだ本の中に、こんな言葉がありました。今でも覚えています。

親は、輝く弓になれ。

引き絞り放たれた矢は、二度と戻ってきません。

そして、弓が強ければ強いほど、うまく引ければ引けるほど、矢は高く遠く飛んでいきます。加えて、矢が飛ぶべき方向は、弓ではなく何かによって、すでに定められているのかもしれません。

私たちは、矢であり、(私は叶いませんでしたが)弓でもあります。

決して同じ形ではありませんし、役割も違うのだと思います。

 

 

 

 

 

 

戦い方ばかりでなく、相手を知りたい

緊急事態宣言が延長され、さらに厳しい状況になっていきます。

また、このブログの目的でもある人生会議についても、やった方がいいですよ、なぜなら〜ということを、具体的にお勧めするタイミングも来ているように思います(これまた厳しい話ですが)。

……なのですが、ああ、そのことを知りたかった!という情報に触れられたので、それについて記しておこうと思います。

 

科学的な情報を得ることは必要だけど、なぜ感染症の専門家ばかりが表に出てくるのだろう?と、ずっと不思議に思っていました。
「どうすればウイルスと戦えるか!」という方向は、不治の病気と向き合った人を見送った経験者としては、何か違和感があったのです。倒せるの?と……。勝利するまで戦い続けるの?とも……。というか、「勝利」って一体どういう状態なの? ウイルスは生物ですよね?と……。

新しい相手と付き合っていくには、相手のことをもう少し知りたい。
「付き合い方」(戦い方?)ばかりでなく、「その相手」を知りたい。
そんな風に思っていた次第です。

相手を知らなければ、付き合い方についてもいろいろ考えられないので……。

で、TwitterのTLに流れてきた、慈恵会医科大のウイルス学講座の近藤先生の言葉に納得。

ウイルス学の世界では、自分の専門以外のウイルスの関しては口出ししてはいけないという不文律があります。現役のコロナウイルス学者は、日本にはほとんどいないので、マスコミなどでウイルス学者が新型コロナウイルスの解説をすることは、まず無いと思います。

なるほど、だから表に出てこなかったんですね、と思いました。

でも、先生は以下のサイトでその「不文律を破って、ウイルス学者の目からみた新型コロナウイルスの解説を試みて」くださっています。

jikei-tropmed2.wixsite.com

ちょっと専門的で難しい部分もありますが、とても納得がいきました。だから、こういう対策が取られていたのですね、と。

また、「新型コロナウイルスの構造と消毒法」というところで、

消毒薬に抵抗性のあるウイルスに対して、最も有効な手段は洗浄です。皮膚の表面にあるウイルスを石鹸で浮かせて、水やお湯でしっかりとウイルスを洗い流すことが必要です。

とありました。

要は「石けんでしっかり皮膚の表面にあるウイルスを洗い流して」と、非常にシンプルなメッセージでしたが、これが大事なのだとよくわかりました。

 

このサイトを共有したところ、現場の実感をお知らせくださった方がいました。ご本人から許可を頂戴しましたので、以下に共有させていただきます。

私は保育所看護師をしております。

コロナウィルス感染拡大防止のため外出自粛となっている中でも保育所は開所しなくてはならない状況でしたが、保育所で出来る感染対策はたかが知れています。出来ることは手洗い、うがいの徹底と普段より多めの清掃、消毒くらいです。でも、これがとても効果をあげています。

2月に入ってから感染予防のため、まずは子ども達と保護者に保育所に入ってすぐにアルコール消毒と手洗いをしてもらうことにしました。
(元々子ども達には普段から手洗い指導の際には、食前などの他に目や鼻や口を触る前には必ず手洗いをするように教えてきました。)
してもらった事は、たったこれだけなのですが、2、3月の風邪様疾患の人数が一桁に激減し、4月に至っては3歳未満児では0人となりました。3歳以上児でも1人でした。普段ならインフルエンザが流行するのですが、2月の頭を最後にそれ以降は0件でした。
もちろん、子どもの数が普段の登所人数の半分だったことも一因と思われますが、予想以上の効果です。それと同時に子ども達の普段の手洗いがいかにいい加減だったかを思い知りました…。

 

3月末の段階で、顧問をさせていただいているクリニックからも、体感で「患者さんが減っている。インフルエンザと風邪の患者さんかな」という話を聞いていました。

こちらは大人のクリニックなので、国や都の広報で指示された対策を各自が実践したからこその結果だったと思います。「人と会わない」も重要な対策ですが、「手洗いとうがいの徹底」が理にかなっていることがわかり、すっきりしました。

 

ちなみに「手洗いとうがい」は、肺を病み、窒息死のリスクがあり、肺炎になったら終わりと言われていた夫と暮らしていましたので、私にとってはすでに意識せずとも頻繁に行っているルーティンです。

それでも、死別後のこれまでには、入院一歩手前まで体調を悪くしたことも何度かありました。その原因は、メンタルの不調です。

こういう経験もあって、「ウイルスとの戦い方」だけがクローズアップされる情報発信には違和感があります。また、メンタルは気合いだけでなんとかできるものではなく、加えて専門家だけに頼れば万事すっきり解決というものでもありません。そして、精神疾患を発症すれば、完治までにそれなりの時間がかかることも覚悟する必要があるでしょう。

真面目で一所懸命、弱音を吐かないぞ!と頑張っている方は特に、人とのつながりを意識した方がいいと思います。テレビでも精神保健福祉センターへの連絡先が広報されています。相手は専門家である必要はありません。誰かに話す=言葉にすることは、とても大事なことだということも書き添えておきます。