金子稚子の「とんぼとかめ」日記

『ACP(アドバンス・ケア・プランニング)』『人生会議』を中心に、死や死別について考えることを記しています。

「点」の情報が形づくるものを受け取る

デジタルネイティブ」という言葉を知り、へーと思ったのはいつの頃だったでしょうか。それよりもっと前、インターネット(というかまだメールのやりとりでしたが)が仕事場にも入り始めた90年代終わりから2000年代初頭の頃、アラサーの私に20歳上の先輩が言った言葉が忘れられません。

これから情報は、(私たちの仕事である)雑誌や本のような「線や面」で伝えるものではなく、「点」が集まったものになる。 

あれから約20年、さまざまなネットサービスが登場し、そして今もどんどん出てきていますが、当時、彼女が言っていたことはこういうことかと、改めて実感しています。

「線や面」と「点」の違いとは、どういうことを指すかわかるでしょうか?

あることを伝えようとした時、そのことにまつわるさまざまなこと(なぜ伝えようとするのかという理由もそうですし、さまざまな立場のさまざまなものの見方もあります。また時間の経過や未来予測などもあるでしょう)も合わせて、「こういうことだ」と伝えるのが「線や面」です。「線や面」で、情報を伝えようとする人間が形づくったもの(だから、ある程度の文章量がある)を丸々受け取ることになります。

しかし「点」は、「こういうことだ」ということのみです。「こういうことがあった」「こう思った」「こうである」という断片的な情報を受け取り、それが自分の中に集積して形作られるものを受け取る、というイメージ。形づくるのは、情報を伝える側ではなく、受け取る側がすることになります。

加えて、新聞も含めた紙媒体と比較したら、時間的制限や映像パワーのあるテレビは「点」に近いメディアですが、これら旧メディアにネットメディアが加わった今は、当時となんか比べられないくらいに、情報のスピードは増し、そして大量になりました。しかも、情報が非常に多様で多彩。そして「個人的な言葉」もあふれています。よく言われることですが、発信された情報が「公的なもの」なのか「私的なもの」なのかよくわからず、混在もしています。というか、受け取る側が特に意識することもなく、どんどん発信され、どんどん流されていきます。

だから、たとえ匿名のツイートであっても情報を伝える側の責任が、ここ20年ほどの間にずっと軽くなったように私には感じられるほどです(そのせいか、ネット発信になじめていないということもありますが、特に紙媒体で仕事をしてきた同世代はネットでの発信に非常に慎重な人が多いように思います。私自身がそうですが、紙媒体の感覚で肩に力が入りすぎているのかもしれません…)。受け取る側も、すぐに消えていく情報をそこまで気にする必要はないし、大量の情報を処理するにはいちいち深く理解する必要もなくなっています。

 

しかし今、「外出を控えてほしい」というメッセージがメディアを通して出されていますが、それはなぜなのか?ということが、多くの人に届いていないことを痛感します。

そして、科学者による「なぜなのかという理由」が発信されていますが、それらが複雑で難しく、且つ大量であることもあって(つまり「線と面」で形作られたものなので)、なかなか多くの人に届かないのではないかとも思います。猛スピード&大量の情報を浴び続けていることで、「情報を気にする」「情報を深く理解する」ことを知らない、あるいは忘れた人たちが、情報が持つ意味の重さをキャッチできていないのかも、と(もちろんよく理解し、行動を変えている人も大勢いることはわかっています)

 

今日は、こんなニュースがありました。

www3.nhk.or.jp

このニュースに触れて、どれくらいの人ががん専門病院が手術を80%縮小することによる影響を理解できているのか心配です。「看護師が感染するなんて、なんて不注意なんだ!」などという的外れの反応を示す人がいないことを心から祈ります。

ちなみに私は、こんな風にツイートしました。

今日、21時のNHK「ニュースウォッチ9」では、がん患者団体の声を取り上げていました。そして患者団体代表も、「医療者を責めるつもりはない」ということを強調しました。伝えたいのは「私たちの行動を変えることだ」とも。

「家から出ない」というたったこれだけで、多くの人の命を救うことができる。断片的な情報を受け取るだけで自分の中に形作られるものに気づけないと、その意味はわからないかもしれません。でも、そういうことなのです。

「点」の情報ではなく、形づくられたものを受け取ってほしい。

 

新型コロナウイルスのせいで、人生会議についてなかなか書けません(汗)。

でも、人生に関すること、命に関することについて話し合おうという時、今のように「断片的な情報を受け取るだけ」に慣れてしまうと、かなり大変だと思いますよ、とは言っておきたいです。闘病も命に関わる医療やケアの選択も、「点」の情報だけではすることなどできません。自分の命を前にしたら、そんなに簡単には話を受け流すことができなくなるからです。というか、受け流しても「なかったこと」にはできないですよね。今の新型コロナウイルスと同じです。